タブラ・ロジェリアナ(ムハンマド・アル=イドリーシー)

               

この記事で紹介するのは「タブラ・ロジェリアナ」と呼ばれる世界地図です。

イタリア半島の先っぽ、シチリアでイスラームの地図製作者によって作られたこの地図は、種々多様な情報が交わった背景から当時としては極めて正確で影響力の大きいものとなりました。

この偉大な作品がどのような経緯で作られ、具体的にどのような情報を参考にしたのか、そして後世への影響などを詳しく見ていきましょう。

 

地図の概要

タブラ・ロジェリアナ

名称(日本語) タブラ・ロジェリアナ
名称(英語) Tabula Rogeriana
製作時期 1154年
所蔵場所 フランス国立図書館(フランス・パリ)ほか
作者 ムハンマド・アル=イドリーシー
材質 写本
大きさ 各ページ縦26.5cm×横17.5cm

 

「タブラ・ロジェリアナ」(単にイドリーシーの世界地図とも言う)は1154年にイスラームの地理学者ムハンマド・アル=イドリーシーによってつくられた世界地図です。
『ルッジェーロの書』という本の中の70点の地図を繋ぎ合わせたもので、ユーラシア大陸全体と北アフリカを描いています。

なお『ルッジェーロの書』は10点の写本が現存しており、それらは14世紀〜16世紀にかけてのものです。

 

地図の作者

この地図の作者はイスラームの地理学者ムハンマド・アル=イドリーシーです。

彼は北アフリカのセウタ(現在はスペイン領)で生まれ、スペインのコルドバで学びました。
スペインや北アフリカなどを旅した後、1138年にルッジェーロ2世統治下のシチリアに招かれました。

 

 

『ルッジェーロの書』

冒頭にも書いたようにこの地図は1154年に書かれた『ルッジェーロの書』内の地図を繋ぎ合わせたものです。

『ルッジェーロの書』というのは、ラテン語である『タブラ・ロジェリアナ(Tabula Rogeriana)』の日本語訳です。

 

この本は、シチリア王国の国王・ルッジェーロ2世の王命によってつくられました。
彼は当時の地図の不正確さに不満を持っており、そのため旅行者へのインタビューをもとに、信頼できる内容のみを載せてつくられました。

不正確な中世ヨーロッパの地図というのは他でもないマッパ・ムンディのことなのですが、彼は単純に図式化されたものや空想の混じったものではなく、もっと実用的なものを望んでいたのです。

そういった事情から「タブラ・ロジェリアナ」には文化・慣習・経済などに関する情報が載せられています。

ソーリー図

12世紀のマッパ・ムンディの例(ソーリー図)。ギリシャ神話やキリスト教に関する図像が見られる。

 

 

同書内には上述の複数の地図を繋ぎ合わせたものの他に、以下の単体の世界地図も収められています。

アル=イドリーシーの世界地図

 

 

地図の特徴

地図の形式

この地図は南が上になっています。

東を上にしていた中世ヨーロッパのマッパ・ムンディとは異なり、イスラームの地図製作は南を上に描くことが伝統でした。

ロンドン詩篇の世界図

東が上のマッパ・ムンディの例(ロンドン詩篇の世界図

 

その理由としては東を上にしていたヨーロッパと同じように宗教的なものが考えられます。

イスラム教では聖地であるメッカに向けた礼拝が行われるのですが、イスラム教はメッカより北にある地域を中心に拡大していたので礼拝のためにメッカのある南側を向くことがほとんどでした。そのため、南が神聖な方角とされていたようです。

 

 

詳細な描写

当時のイスラームの地図においては、陸地を直線や(楕)円といった幾何学的な図形の組み合わせで表現するのが一般的でした。

一方、イドリーシーはそうした伝統に則らず、陸地をより詳細に表現しています。

 

以下はイブン・ハウカルによる世界地図なのですが、上に掲載したイドリーシーの世界地図と比べてシンプルであることがわかると思います。

イブン・ハウカルの世界地図

File:Ibn Howqal World map.jpg – Wikimedia Commonsより

クリエイティブ・コモンズ

 

 

東アジアの国々

東アジアの国々と見られる情報を載せている点もこの地図の特徴と言えます。

東アジアの国々

上の画像は地図の左端の部分を拡大したものです。

下半分に見える大陸部には「Sin」と書かれており、これは中国のことです。
また、左上に島が密集していますがその中の一つは「Sila」と名付けられており、これは新羅、つまり朝鮮半島であると考えられます。

そして上部の陸地には「Waku waku(ワクワク)」と書かれており、日本(倭)のことではないかと言われています。

 

これはイスラームの地図にワクワクが登場する最初の例であり、これが本当に日本のことであるとすれば、西方の地図に日本が登場する初期の例の一つになります。

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ちなみにヨーロッパの地図で日本が初めて登場するのが1450年頃の「フラ・マウロの世界地図」においてのことなので、イスラームの地図には300年以上前からすでに登場していたことになりますね。

ジャワ島と日本

「フラ・マウロの世界地図」の一部。「GIAVA」と書かれたジャワ島の下に塔のようなものが建った島(日本)が確認出来る。

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地図の情報源

タブラ・ロジェリアナは古代から地図製作当時までの様々な書物や地図、伝聞などを情報源としています。その主なものを見ていきましょう。

プトレマイオス

この地図は古代ローマの学者クラウディオス・プトレマイオスの地図の影響を受けています。

プトレマイオス図

プトレマイオスの地図(15世紀の複製)

 

同時期のヨーロッパではプトレマイオスの地図は継承されていませんでしたが、イスラーム世界には東ローマ帝国を経由して彼の著書が入ってきており、9世紀にアラビア語に翻訳されました。

そのためイスラーム世界においては、新しい地理情報を交えながらも地図製作に大きな影響を与えていました。

 

 

オロシウス

4〜5世紀頃のキリスト教神学者パウルス・オロシウスもまた、イドリーシーに影響を与えた著書を記しました。それが『異教徒に反駁する歴史』です。
この著書では地理学的視点から見たキリスト教の興隆に関する歴史が記されています。

『異教徒に反駁する歴史』

『異教徒に反駁する歴史』の写本

 

 

イブン・フルダーズベ

イドリーシー自身がイスラームの地図製作者であったので、当然イスラームの地理学にも影響を受けています。

その一つがペルシアの地理学者・官僚であるイブン・フルダーズベ(820〜911年頃)による『諸道と諸国の書』という著書でした。
同書はイスラーム王朝の一つであるアッバース朝統治下のイスラーム世界の地理的認識を記しています。

こうした書物からイドリーシーは地球の形状や長さについての内容などを参考にしていました。

 

 

イブン・ハウカル

上記のイブン・フルダーズベの他にこの地図の情報源となっているのが、イブン・ハウカルによる著書『地球の姿』と同書に添付された地図です。

イブン・ハウカルは10世紀の地理学者で、バルヒー学派というものに属していました。
これはイスラームの地図製作における流派で、9世紀〜10世紀にかけてペルシア(イラン)で活躍していた地理学者アブ・ザイド・アル=バルヒーが作り上げたものです。

彼の学派の地図の特徴として、地図帳のように複数(多くの場合は21)の地図で構成されていたことが挙げられます。
イスラーム世界のみを20〜22ほどの地域に分け、人・モノ・慣習などの説明と共にそれぞれ別々の地図に描いていました。またこれらにプラスして一枚の世界地図も含まれていました。

 

実際、枚数は大きく異なりますがこの地図が複数の地図を繋ぎ合わせたものである点からもバルヒー学派的な地図と言えるかもしれませんね。
もっとも、実は他のバルヒー学派の地図はうまく繋ぎ合わせることができないようですが…。

 

 

旅行者からの情報

前述のように、旅行者へのインタビューをもとにした情報も盛り込まれています。

パレルモを始めとするシチリアの街の港にいるノルマン人旅行者を対象に、旅行先の住人や文化、天然資源、交易などに関する情報を聞いていたようです。

こうした情報は時に矛盾を生じましたが、他に証拠がない場合はそうした情報の使用は控えていたとみられます。

 

 

地図の評価と影響力

上述のように、その真偽に気を配りながら様々な情報を組み合わせて出来たタブラ・ロジェリアナは当時のどの地図よりも優れており、その後3世紀以上にわたって修正なしに利用され続けるなど、強い影響力を持ち続けました。

 

イドリーシーの地図に影響を受けた人物として、モロッコ出身の旅行家イブン・バットゥータや「ピリ・レイスの地図」の作者であるオスマン帝国の海軍軍人ピリ・レイスなどが挙げられます。

ピリ・レイスの地図

ピリ・レイスの地図(1513年)

 

イスラーム世界以外にも、大航海時代の航海者クリストファー・コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマらにも影響を与えたと言われています。

また、先ほど少し紹介した「フラ・マウロの世界地図」もイドリーシーの地図を情報源の一部としていると考えられています。

フラ・マウロの世界地図

フラ・マウロの世界地図(1450年頃)

 

しかしイドリーシーの世界地図が本格的にヨーロッパに紹介されたのは意外と遅く、16世紀のことです。

 

 

まとめ

今回の記事のポイントをまとめます。

 

POINT

  • シチリア王国の国王ルッジェーロ2世の命で作られた『ルッジェーロの書』内の70点の地図を繋ぎ合わせたものである
  • イスラームの伝統に従って南が上になっている
  • 日本と見られる国が西方の地図において初めて登場している
  • 古代、キリスト教、イスラームの学者や旅行者による情報など、様々な情報を参考にして作られている
  • その後3世紀以上に渡ってイスラーム、ヨーロッパの地図製作に影響を与えた

 

こうした様々な人が行き交う都市で様々な情報源を織り交ぜて作られた「タブラ・ロジェリアナ」は、キリスト教徒とイスラム教徒との交流の賜物と言えます。

 

 

参考文献


織田武雄 (2018) 『地図の歴史 世界篇・日本篇』講談社.

ブロトン, ジェリー (2015) 『世界地図が語る12の歴史物語』西澤正明訳, バジリコ株式会社.

ルーニー, アン (2016) 『地図の物語 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか』井田仁康日本語版監修, 高作白子訳, 日経ナショナルジオグラフィック社.

Hibbs, Brady. “The Book of Roger.” History Class Publications, 22, 2015.

Tibbetts, Gerald R. “The BalkhI School of Geographers.” The History of Cartography, Volume 2 Cartography in the Traditional Islamic and South Asian Societies, edited by J. B. Harley and David Woodward, 1987.

Ahmad, S. Maqbul. “Cartography of aI-SharIf aI-IdrIsI.” The History of Cartography, Volume 2 Cartography in the Traditional Islamic and South Asian Societies, edited by J. B. Harley and David Woodward, 1987.

イドリースィー – Wikipedia

イブン・バットゥータ – Wikipedia

イブン・フルダーズベ – Wikipedia

タブラ・ロジェリアナ – Wikipedia

ピーリー・レイースの地図 – Wikipedia

Abu Zayd al-Balkhi – Wikipedia

Ibn Hawqal – Wikipedia

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