地球儀の歴史① 〜古代ギリシャからマルティン・ベハイム、現代まで〜

               

学習用やインテリアとして普段何気なく目にしている地球儀。

そんな地球儀はいつ頃から作られていたのか、昔の地球儀はどのようなものだったのか、疑問に思ったことはありませんか?

この記事では地球儀がいつ頃発明され、どのように進化していったのか、その歴史を辿っていきたいと思います。

今回は世界における地球儀の歴史についてですが、日本について興味がある方は以下の記事で解説していますのでご参照ください。

地球儀の歴史② 〜日本における地球儀の受容と製作の歴史〜
聖徳太子の頃には地球儀はまだ存在しなかったようですが、日本では一体いつ頃から地球儀が登場するようになったのでしょうか?今回は日本における地球儀の歴史を辿っていきたいと思います!日本の歴史上初めて地球儀を手にしたのは織田信長であると考えられています。

 

古代の地球儀

地球儀は地図とは異なり、世界を球体という本来の形のまま表したものです。そのため地球儀の製作は現代の私たちにとっては当たり前となっている、「地球は丸い」という考え方(地球球体説)に裏付けられたものであると言えます。

地球球体説を初めて提唱したのは古代ギリシャの学者で紀元前6世紀に活躍したピタゴラスであると言われています。
その後も様々な学者に説が浸透し、紀元前5世紀頃には主流となっていきました。

マロスのクラテス

こうして地球球体説が浸透した古代ギリシャにおいて、世界で初めて地球儀が製作されます。
製作に当たったのは古代ギリシャの学者で紀元前2世紀頃に活躍したマロスのクラテスという人物です。

クラテスの地球儀

しかし当時ギリシャ人に知られていたのはヨーロッパ・北アフリカ・中東・インド〜中国にかけてのアジア程度でしたので、地球上の他の地域には当時の考えに基づいた世界が広がっていました。

その考えというのは、人が居住する土地(エクメーネという)は当時知られていた部分(上述のヨーロッパから北アフリカ、アジアにかけての地域)を含む4つのエリアに分かれているというものでした。
上の地球儀のイラストで右上以外に描かれている三つの島が想像上の土地になります。

 

ストラボンの地球儀

古代ローマのストラボン(紀元前63年頃〜紀元後23年頃)は地球儀をさらに発展させ、人が居住する土地を描くことに注力しました。

彼は地球儀上のエクメーネの位置を、地球の大きさの測定に当たったエラトステネスや上述の世界初の地球儀を作成したマロスのクラテスなど、先人の成果をもとにしながら定めました。

ストラボンの地球儀

出典:Slide #115 Monograph

 

 

中世の地球儀

中世ヨーロッパにおいても古代から地球球体説を受け継いではいたようですが、地球儀が作られていたという記録は残っていません。

 

一方イスラーム世界では製作されていました。
例えばイランの天文学者・ジャマールッディーンが作った地球儀が1267年に北京に持ち込まれたという記録が残っています。

 

 

大航海時代の地球儀

宗教・交易など様々な理由によってヨーロッパ人が海外進出を進めていった大航海時代は地球儀の歴史にも多大な影響を及ぼしました。

アフリカやアジア、アメリカなどへの進出が進むと、そうした新しい地理的情報を地図上に表す必要性が出てきました。
そうした中で地球球体説の証明が進んだことで、地球儀の製作が広く行われるようになっていきました。

最終的にマゼランが世界一周の航海を成し遂げると(1519〜1521年)、地球球体説が完全に証明されることとなりました。

マルティン・ベハイムの地球儀

マルティン・ベハイムの地球儀

File:Behaims Erdapfel.jpg – Wikimedia Commonsより

クリエイティブ・コモンズ

現存する最古の地球儀が1492年にドイツの地理学者マルティン・ベハイムによって作られた地球儀です。
これは「エルダプフェル (Erdapfel)」と名付けられており、日本語に訳すと「大地のリンゴ」という意味です。

1492年というとコロンブスによる新大陸発見の年と同じですのでまだアメリカ大陸は描かれていませんが、アフリカは南端の喜望峰まで描かれていたりマルコ・ポーロの『東方見聞録』に基づく内容が盛り込まれていたりと、当時の新知識が取り入れられています。

 

新大陸の登場

上記のマルティン・ベハイムの地球儀にはまだ新大陸(アメリカ)は描かれていませんでしたが、それからしばらくして作られた地球儀に新大陸が登場するようになります。

以下が新大陸を描いた現存する最古の地球儀で、1504年に作られました。

ダチョウの卵の地球儀

File:Front of the Da Vinci Globe.jpg – Wikimedia Commonsより

クリエイティブ・コモンズ

これは「ダチョウの卵の地球儀」と呼ばれるもので、作者はルネサンス期の著名な芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチです。作者の名前から「レオナルド・ダ・ヴィンチの地球儀」とも呼びます。

画像に写っている大陸がちょうど新大陸の部分になります。

 

ダチョウの卵の地球儀をモデルにした地球儀も現存しており、それが「レノックスの地球儀」というものです。
これは1504〜1506年頃に作られました。

レノックスの地球儀

 

モデルにしているだけあり、両者は非常によく似ています。
以下がそれぞれの地球儀を平面に起こしたものなのですが、ほとんど同じであることがわかると思います。

ダチョウの卵の地球儀 平面

「ダチョウの卵の地球儀」の平面地図

レノックスの地球儀 平面

「レノックスの地球儀」の平面地図

File:Lennox Globe, by B.F. Da Costa.png – Wikimedia Commonsより

クリエイティブ・コモンズ

 

また、「アメリカ」という名を用いた初めての地球儀がマルティン・ヴァルトゼーミュラーによるもので1507年に作られました。

彼は同年に出版した地図においても「アメリカ」という地名を初めて用いていますが、同じく地球儀(正確には地球儀用の舟形の地図)にもアメリカの名が登場しています。

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの舟形地図

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの舟形地図。右端の折れ曲がった大陸がアメリカ大陸。

【関連記事】

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図
マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図は「アメリカ」という地名を初めて用いたことから「アメリカの出生証明書」とも言われるものでした。この記事では、そんなマルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図の製作の背景や影響などを解説していきます。

 

 

近世オランダにおける地球儀

大航海時代によって地域間の交流が活発になると海上交易の中心地として都市が繁栄し、富裕層が育ちました。

その一例がアムステルダムを中心とするオランダの都市であり、そこでは16世紀末以降、一族で地球儀製作に従事する事例が見られるようになりました。

それらの地球儀は新しい地理的知識を盛り込んでいたのはもちろん、装飾としての側面も重視されていました。
そして当時地球儀はまだ高価だったため庶民が所有することはできず、所有者の地位を示すためのものという側面もありました。

そんな当時の地球儀をいくつか紹介します。

フェルメールも描いたヨドクス・ホンディウスの地球儀

ヨドクス・ホンディウスが1600年に初めて製作した地球儀は1612年に彼が亡くなってからも作られており、1618年版のものはオランダの有名な画家であるヨハネス・フェルメールが彼の作品内に描いています。

『地理学者』

フェルメールの『地理学者』(1669年)  棚の上に見られる地球儀がヨドクス・ホンディウスによるもの。

 

フェルメールの作品内の地図や地球儀に関しては以下の記事で解説しているので、興味のある方は是非ご覧ください。

フェルメールと地図
日本でも大人気のヨハネス・フェルメール(1632?〜1675?年)は17世紀オランダの画家です。そんなフェルメールですが、彼の作品の一部には背景に地図や地球儀が描かれているのはご存知でしょうか?今回はフェルメールと地図の関係について見ていきたいと思います!

 

ブラウの地球儀

「大地図帳」で有名なヨアン・ブラウやその父であるウィレム・ブラウも地球儀製作に従事していました。

ウィレム・ブラウの地球儀(1602年)

 

 

18〜19世紀の地球儀

富裕層のみにその所有が許されていた地球儀ですが、18〜19世紀頃になると徐々に中産階級にも手が届くようになっていきました。

例えばポケットサイズの小さな地球儀が普及するようになり、それを持ち運ぶことがステータスとされていたようです。

ポケット地球儀

19世紀のポケット地球儀。ケースの内側には天空の様子も描かれている。

また学校教育などでも利用されていました。

 

しかしこうした小さい地球儀には地理的情報を詳細に描きにくいという欠点がありました。
それを克服しつつも持ち運びやすさを維持した地球儀として、風船のように膨らませるタイプのものや傘のように開くタイプのものなどが誕生していきました。傘型のものとしては1850年以降に作られたイギリスのベッツ社のものが有名です。

地球儀2

 

 

現代まで

19世紀終わりから20世紀にかけて技術がさらに進歩すると、地球儀の大量生産が可能になりました。それに伴い、庶民にも手が届くものになっていきます。

 

また衛星技術の台頭は地球儀 にも大きな影響を与えました。

いい影響としては、衛星画像によって空から見た地球の様子がわかるようになって初めて、それまで進歩を続けてきた地球儀の情報の正しさが証明されることになりました。

その一方、地球儀の航海のための用途は衛星システムに取って代わられました。

 

さらに近年はインターネットの登場により、地球儀の在り方も大きく変化しました。

Google Earthなどのサービスにより、インターネット上で簡単に地球の様子を眺めることができるようになりましたね。

Google Earth

 

 

まとめ

古代から現代まで、地球儀の歴史を大まかに説明させていただきました。
ヨーロッパ中心ではありましたが、その時代の歴史や考え方に大きな影響を受けていることがお分かりいただけたかと思います。

 

地球儀は作られた当時の世界そのものを示しています。
地球儀の歴史を知ることは既知の世界が拡大していく過程はもちろん、人々が地球をどのように見てきたかを知ることでもあると言えるのです。

 

 

参考文献


ルーニー, アン (2016) 『地図の物語 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか』井田仁康日本語版監修, 高作白子訳, 日経ナショナルジオグラフィック社.

千田稔 (2005) 『地球儀の社会史 愛しくも、物憂げな球体』ナカニシヤ出版.

Woodward, David. “The Image of the Spherical Earth.” Perspecta, 1989, Vol. 25 (1989), pp. 2-15, 1989.

Verhoeven, Geert J. and Missinne, Stefaan J. “Unfolding Leonardo DA Vinci’s Globe (ad 1504) to Reveal its Historical World Map.” ISPRS Annals of Photogrammetry, Remote Sensing and Spatial Information Sciences, Volume IV-2/W2, 2017, pp.303-310.

Prepared by the Editors from Materials Supplied by Aujac, Germaine. “Greek Cartography in the Early Roman World.” The History of Cartography, Volume 1 Cartography in Prehistoric, Ancient, and Medieval Europe and the Mediterranean,edited by J. B. Harley and David Woodward, 1987.

Stevenson, Edward Luther. Terrestrial and Celestial Globes Their History and Construction Including a Consideration of their Value as Aids in the Study of Geography and Astronomy, New Haven, Pub. for the Hispanic society of America by the Yale university press, 1921.

エラトステネス – Wikipedia

ジャマールッディーン – Wikipedia

地球球体説 – Wikipedia

マルティン・ベハイム – Wikipedia

マロスのクラテス – Wikipedia

A Brief History of Globes | Whipple Museum

European globes of the 17th and 18th centuries – The British Library

Globe History — Omniterrum

Ostrich Egg Globe – Wikipedia

Pocket-sized Globes | Whipple Museum

Portable ‘Umbrella’ Globe | Whipple Museum

The History of Globes – MOVA Globes Blog

Waldseemüller map – Wikipedia

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