Googleマップなどの台頭で機会は減ってしまっているかもしれませんが、一度は地図帳を利用したことがあるという人が多いのではないでしょうか。
実は地図帳の歴史は古く、最初に誕生したのが今から400年以上前のことになります。(当初は庶民のためのものではありませんでしたが)
この記事では史上初の近代的地図帳と言われている「世界の舞台」という地図帳を紹介していきます。
地図の概要
名称(日本語) | 世界の舞台 |
名称(英語) | Theatrum Orbis Terrarum |
製作時期 | 1570年(初版) |
製作場所 | ベルギー・アントウェルペン |
所蔵場所 | アメリカ議会図書館(アメリカ・ワシントン)ほか |
作者 | アブラハム・オルテリウス |
材質 | 本 |
「世界の舞台」は1570年にアブラハム・オルテリウスという地図製作者によって出版された地図帳で、出版の地はフランドル(現代のベルギー西部、オランダ南部、フランス北部にかけての地域)のアントウェルペンです。
この地図帳は世界初の近代的地図帳であると言われています。
また我々日本人としては、ヨーロッパ初の近代的な日本地図(単体のもの)を収録しているという点も見逃せません。
地図の作者

アブラハム・オルテリウスの肖像画(ピーテル・パウル・ルーベンス画 )
この地図帳の作者はアブラハム・オルテリウス(1527年〜1598年)という地図製作者です。
アントウェルペンに生まれたオルテリウスは、1547年にその地で地図彩飾師としてギルドに入りました。
その後は商業のためにヨーロッパをあちこち旅行し、地図や書籍、骨董品などを仕入れていたようです。
そして1560年にメルカトル図法で有名なゲラルドゥス・メルカトルと旅行へ行ったことを機に、地理学者としての経歴を歩み始めました。
近代的地図帳
冒頭で世界初の近代的地図帳であると紹介しましたが、「近代的」というのが実は重要で、複数の地図を一つの本にまとめること自体はそれ以前から行われていた事例もありました。
例えばローマ時代のプトレマイオスによる『地理学』などがその例に当たります。
しかし当時は本の形の地図は広まりませんでした。
また14〜15世紀以降にはポルトラーノ海図の本が存在していましたし、1550年頃にはイタリア製の地図をまとめたものが作られていました。

イタリア製地図帳(アントニオ・ラフレリ)
こうした地図帳とオルテリウスの「世界の舞台」は主に以下の二点において異なっており、そのため近代的と言えるものでした。
- 地図の形式が統一されていた
- 地図に付属するテキストがあった
1.に関しては、前述のイタリア製の地図帳などは購入者の要望をもとに地図を寄せ集めただけにすぎなかった一方、「世界の舞台」では様々な地図を統一的な判型に縮小するといったことが行われていました。
2.についてですが、地図にテキストを付随させるといったことは当時全く行われていませんでした。
そうした時代の中で一つ一つの地図にテキストを付けた「世界の舞台」は非常に革新的なものであり、賞賛も多かったようです。
誕生の背景
16世紀になってオルテリウスが地図帳を製作したのは以下のような事情がありました。
ある時、彼は知り合いからとある要望を受けました。
それは航海の際に距離を計算したり、戦争によって生じた領土の変化を知るために地図を参照するにあたって、大きな地図を広げるのは不便であるため小さく本にまとめたいという要望でした。
オルテリウスはそれに応える形で38もの地図を一つにまとめた本を作りました。
そこに着想を得て、また友人のメルカトルの助言もあり、統一的な地図を多数収録した近代的地図帳「世界の舞台」は誕生しました。
地図の特徴
度重なる改定
複数の地図や説明を統一された形式でまとめたという点以外の大きな特徴として、出版後も地図の改定を続けていたことが挙げられます。
初版時には53点だった地図の数は、1598年には119点にまで増えました。
地図が増補されたほか、様々な言語で出版されました。
各言語と初版年を以下の表にまとめています。
1570年 | ラテン語版 |
1571年 | オランダ語版 |
1572年 | ドイツ語版 |
1572年 | フランス語版 |
1588年 | スペイン語版 |
1606年 | 英語版 |
1608年 | イタリア語版 |
これだけ多くの言語で出版されたことから、当時のヨーロッパ社会の地図に対する情熱が窺い知れますね。
その後1641年までに40以上もの版を重ね、商業的に大成功を収めました。
世界地図
冒頭にも画像を載せましたが、こちらの世界地図が「世界の舞台」の中に収められています。
大きな特徴は、南半球に大きな大陸が描かれていることです。
これは「テラ・アウストラリス・インコグニタ(未知の南方大陸)」と呼ばれるものです。
こうした南方大陸の考え方は古代(プトレマイオスの頃)からあるものですが、1520年のフェルディナンド・マゼランによるフエゴ島(南アメリカ大陸最南端の島)の発見をこの南方大陸の発見と勘違いされたことから、この時代の地図に大々的に描かれていたのでした。
日本地図
先述のようにオルテリウスはヨーロッパで初めて近代的な日本単体の地図を出版しました。
しかし1570年の初版から載っていたわけではなく、1595年にようやく追加されました。
実はここでも「近代的」というのがポイントで、これ以前にも単体の日本地図がないわけではありませんでした。
それが以下のボルドーネによるもので、1528年に作られました。
形は正直言って全く特徴を捉えていませんが、それもそのはずこの地図はヨーロッパ人が日本にやってくる前に作られたもので、完全に想像で描かれています。
「世界の舞台」内の日本地図が近代的であると言える理由は、日本の地図が元になっているためです。
この地図は「行基図」と呼ばれる日本の地図を元にしたもので、ルイス・テイセラというイエズス会士経由でオルテリウスが1592年に手に入れたものです。
そのためオルテリウス自身が製作したわけではないのですね。
もっともテイセラについても自分で描いたわけではなく、日本にいるイエズス会士から入手したものと見られます。
イエズス会といえば16世紀中頃に日本にキリスト教の布教に来たことはご存知の方も多いかと思います。(フランシスコ・ザビエルが非常に有名ですね)
こうした事情から日本の行基図をもとにしたこの地図がヨーロッパ人の手に渡ったわけです。

行基図(画像は17世紀のもの)
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「地図製作者名録」
この地図帳の大きな特徴の一つとして、「地図製作者名録」というものが収録されている点が挙げられます。
この名録には初版で87人、そして1603年までに183人もの地図製作者の名前が挙げられています。
名前が載っているのは地図帳の編纂に貢献した地図製作者はもちろん、同時代のほかの地図製作者も多く含まれていました。
この名録は16世紀の地図製作史の研究に役立つ重要な史料となっています。
まとめ
アブラハム・オルテリウスの「世界の舞台」の主な特徴をまとめます。
POINT
- 史上初の近代的地図帳であること
- 地図を増やしたり様々な言語に翻訳されたりしながら商業的に大成功を収めたこと
- ヨーロッパで初めての近代的日本地図を収めていること
- 16世紀の地図製作を知る重要な史料となっていること
そしてこの地図帳を先駆けとしてネーデルラントでは17世紀頃にかけて商業的な地図帳製作が興隆し、ヨアン・ブラウやヤンソンといった地図製作者が台頭していくこととなりました。
参考文献
小川 知幸 (2014) 『闇に消えた地図製作者クリスティアン・スクローテン』東北大学附属図書館調査研究室年報 2014(2), 1-12.
クーマン, C. (1997) 『近代地図帳の誕生 アブラハム・オルテリウスと『世界の舞台』の歴史』船越昭生監修, 長谷川孝治訳, 臨川選書.
ルーニー, アン (2016) 『地図の物語 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか』井田仁康日本語版監修, 高作白子訳, 日経ナショナルジオグラフィック社.
Cornelis, Koeman, et al. “Commercial Cartography and Map Production in the Low Countries, 1500–ca. 1672.” The History of Cartography, Volume 3 Cartography in the European Renaissance edited by David Woodward, 1987.
Woodward, David. “The Italian Map Trade, 1480 –1650.” The History of Cartography, Volume 3 Cartography in the European Renaissance edited by David Woodward, 1987.
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