マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図

               

2003年6月18日。
この日、アメリカ・ワシントンD.C.にあるアメリカ議会図書館はとある古地図を10万ドル(約10億円)で買い取ったことを発表しました。

その地図は「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」という16世紀初頭の世界地図で、「アメリカ」という地名を初めて用いたことから「アメリカの出生証明書」とも言われるものでした。

この記事では、そんなマルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図の製作の背景や影響などを解説していきます。

 

地図の概要

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図

名称(日本語)マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図
名称(英語)Waldseemüller map
製作時期1507年
製作場所フランス・サン=ディエ=デ=ヴォージュ
所蔵場所アメリカ議会図書館(アメリカ・ワシントンD.C.)
作者マルティン・ヴァルトゼーミュラー
材質木版
大きさ縦120cm×横240cm

「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」は1507年に出版された、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーによる世界地図です。

プトレマイオスの世界観と新世界を融合させた、アメリカ大陸を描いた初期の世界地図であり、「アメリカ」という地名を初めて用いた地図として有名です。

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図 アメリカ

「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」上の「アメリカ」の地名

 

地図の作者

この地図はドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラー(1470年頃〜1520年)によって作られたものです。

マルティン・ヴァルトゼーミュラー

マルティン・ヴァルトゼーミュラー

ヴァルトゼーミュラーはフライブルク大学で学んだのち、1506年に当時のロレーヌ公国のサン=ディエ(現フランスのサン=ディエ=デ=ヴォージュ)に設立されたギムナジウム・ヴォージュという人文主義アカデミーの教授に就任しています。

 

しかしこの地図を語る上でもう一人、外せない人物がいます。
それがマティアス・リングマン(1482年〜1511年)です。

マティアス・リングマン

マティアス・リングマン

リングマンはパリとハイデルベルグで学問を治めた後、ストラスブールの印刷工房で仕事をしていました。
そしてストラスブールにいる中で彼は、古代ローマの地理学者クラウディオス・プトレマイオスの『地理学(ゲオグラフィア)』の研究に没頭していきました。

ある時リングマンは探検家アメリゴ・ヴェスプッチによる新大陸発見の手紙を読んだことで、プトレマイオスの『地理学』に新大陸を加える計画に着手します。しかしリングマン自身は地図を作ることができず、そのためにヴァルトゼーミュラーがこの計画に加わることとなったのです。

 

『宇宙誌入門』と地球儀

当初は新しいプトレマイオスの『地理学』を作る計画でしたが、ヴァルトゼーミュラーらがヴェスプッチによる新たな手紙、そしてポルトガル製のとある海図(後述)を目にしたことでその計画は方向転換をします。
それは12枚のシートから成る大判の世界地図、地球儀用の縮小版地図、そして『宇宙誌入門』という解説書を製作するというプロジェクトでした。

『宇宙誌入門』の執筆はリングマンが担当し、その内容にはヨハネス・ド・サクロボスコという13世紀の天文学者による『天球論』という著作やアメリゴ・ヴェスプッチの手紙などの引用が見られます。

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの地球儀

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの地球儀

『宇宙誌入門』表紙

『宇宙誌入門』の表紙

 

 

地図の情報源

ヴァルトゼーミュラーらが元々新しい版の『地理学』を製作しようとしていたこともあり、そのベースはプトレマイオス図ですが、そこに複数の地図から得た情報を盛り込んでいました。

どのような地図を情報源としていたのか見ていきましょう。

プトレマイオス

ヴァルトゼーミュラーは主に1482年にドイツのウルムで出版された『地理学』やそれよりも古くよりオリジナルに近いと考えられるギリシャ語版を参照していたとされています。

プトレマイオス図(1482年)

ウルム版『地理学』の世界地図(1482年)

ヴァルトゼーミュラーの地図は投影法に関してもプトレマイオスのものを採用しており、『地理学』の中で紹介されている投影法のうち2つ目の投影法(修正円錐図法)を拡張して使用しています。

修正円錐図法

『地理学』内の修正円錐図法の図

【関連記事】

プトレマイオス図(Ptolemy's World Map)
「プトレマイオス図」は不完全な部分を残しつつも1000年以上先まで参照され続けるほどの完成度を誇っていました。この記事ではプトレマイオス図とその地図が収められた『地理学』という著書について、特徴や後世への影響などを解説していきます。

 

ヘンリクス・マルテルスの世界地図

極東部分の描写に関してはヘンリクス・マルテルスの地図(1489年頃)、あるいはその類似の地図に拠っています。

ヘンリクス・マルテルスの世界地図1489年

地図の右側が極東部分です。右上には南北に長い日本(ジパング)も描かれています。

またヴァルトゼーミュラーの地図ではアフリカ南端は地図の枠を突き出ていますが、これもマルテルスの地図にインスピレーションを得たものと考えられます。

 

カヴェリ図

ヴァルトゼーミュラーが新世界やアフリカ南部を地図化する際に参考にしたのが、カヴェリ図(カネリオ図とも)と呼ばれる1504年または1505年に作られた海図です。アメリカ大陸の形状がヴァルトゼーミュラーのものと酷似しているのが分かりますね。

カヴェリ図

この海図は前述のように「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」や地球儀、そして『宇宙誌入門』を製作するプロジェクトに影響を与えたもので、ジェノヴァの地図製作者ニコリー・デ・カヴェリがポルトガル製の海図を写したものです。

 

 

製作意図

この地図は新世界を描いた初期のものとして非常に重要な地図ですが、ヴァルトゼーミュラーやリングマンがなぜこのような地図を製作したかと言うと、そこには政治的意図がありそうです。

彼らは『宇宙誌入門』にも記されているようにこれらの製作物を神聖ローマ皇帝のマクシミリアン1世に献上しており、帝国が地球規模に版図を拡大していくべきという想いを込めていると考えられます。

地図の装飾に目を移してみると、上部に2人の人物が描かれています。
左側の旧世界とともに描かれているプトレマイオス、そして右側で新世界を見据えているアメリゴ・ヴェスプッチです。

プトレマイオスとヴェスプッチ

こうしたデザインは、神聖ローマ皇帝の紋章である双頭の鷲をイメージしたものではないかという見方もされています。
実際この地図の製作から時代を下ると、双頭の鷲をモチーフにした地図が神聖ローマ皇帝に献上されたり、皇帝の勅命で作られたりといった事例が確認されています。

ルドルフ表 地図

ルドルフ2世の勅命による『ルドルフ表』内の世界地図(1627年)

 

 

地図の評価と影響

「アメリカ」という地名の使用

この地図は「アメリカ」という地名を初めて用いた地図として有名ですが、この地名の使用はリングマンの後押しによるものであるとされています。

リングマンが主に担当した『宇宙誌入門』内には、アジアやアフリカが女性の名前から命名されているように新しく発見された土地に関してもそうするべきであり、それは発見者のアメリゴ・ヴェスプッチにちなんで「アメリカ」と命名されるべきであるという旨が記されています。

コロンブスではなくアメリゴ・ヴェスプッチにちなんで命名されたのは、コロンブスが自身が到達したのはアジアの一部だと信じたままこの世を去ったとされている一方で、ヴェスプッチの航海が当時のヨーロッパ社会でセンセーショナルに伝えられたからだと考えられます。
ヴァルトゼーミュラーらも目にしたようなヴェスプッチの手紙は、(現在では誇張だらけのものであるとされていますが)当時人気を博した出版物であったようです。多くの版が刷られたほか、リングマン自身もヴェスプッチの手紙を出版しています。

 

一方、「アメリカ」という地名の使用に関してヴァルトゼーミュラー自身は消極的だったと考えられています。
事実、リングマンの死(1511年)後もヴァルトゼーミュラーは地図を出版していますが、1507年の「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」の出版以後、アメリカという地名を用いることはありませんでした。

『地理学』アメリカ

ヴァルトゼーミュラーによる『地理学』内のアメリカ地図(1513年)。アメリカという地名は見られず、「TERRA INCOGNITA」(未知の土地)となっている。

 

しかし1000部も出版されていたこの地図の影響を拭うことはできず、この地図を複製した後継者たちの影響もあり、「アメリカ」という地名は現代まで使用されています。

 

後継者たち

ヴァルトゼーミュラーの地図は多くの地図製作者に影響を与え、そうした後継者たちによって複製・参照されていきました。

例えばペトルス・アピアヌスは1520年に世界地図を出版していますが、これは明らかにヴァルトゼーミュラーの複製であり、アメリカという地名も使用されています。

ペトルス・アピアヌスの世界地図

ペトルス・アピアヌスの世界地図(1520年)

またセバスティアン・ミュンスターという地図製作者による1532年の地図にもヴァルトゼーミュラーの影響は見受けられ、南米部分に「アメリカ」「TERRA NOVA」(新しい大地)と書かれています。

セバスティアン・ミュンスターの世界地図(1532年)

セバスティアン・ミュンスターの世界地図(1532年)

セバスティアン・ミュンスターの世界地図(1532年)のアメリカ部分

アメリカ部分の拡大

ミュンスターは1544年の『宇宙誌』という著作で有名で、この本は35版も出版された16世紀を代表するものであったことから、ミュンスターは「アメリカ」という地名の普及に多大なる貢献をしたと言えるでしょう。

 

さらに1569年の世界地図により16世紀を代表する地図製作者の1人となったゲラルドゥス・メルカトルも、1538年に初めて製作した世界地図においてアメリカという地名を南北両大陸に用いています。

ゲラルドゥス・メルカトルの世界地図(1538年)

ゲラルドゥス・メルカトルの世界地図(1538年)

 

 

まとめ

POINT

  • マルティン・ヴァルトゼーミュラーがマティアス・リングマンらの協力で製作した。
  • 旧世界はプトレマイオス、極東はマルテルス、新世界はカヴェリの地図を参照している。
  • その製作には神聖ローマ帝国の拡大を願う政治的意図が考えられる。
  • 「アメリカ」という地名を初めて用いた地図であり、後継者らの影響もあり定着していった。

強い影響力・歴史的意義を持つ「マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界地図」。
こうして見てみると、1000万ドルもの値段に納得できる部分もあるのではないでしょうか。

 

 

参考文献


織田武雄 (2018) 『地図の歴史 世界篇・日本篇』講談社.

ガーフィールド, サイモン (2014) 『オン・ザ・マップ 地図と人類の物語』黒川由美訳, 太田出版.

ブロトン, ジェリー (2015) 『世界地図が語る12の歴史物語』西澤正明訳, バジリコ株式会社.

レスター, トビー (2015) 『第四の大陸 人類と世界地図の二千年史』小林力訳, 中央公論新社.

Laubenberger, Franz. and Rowan, Steven. “The Naming of America.” The Sixteenth Century Journal, Winter, 1982, Vol.13, No.4 (Winter, 1982), pp. 91-113

ヴァルトゼーミュラー地図 – Wikipedia

ゼバスティアン・ミュンスター – Wikipedia

双頭の鷲 – Wikipedia

ヨハネス・ド・サクロボスコ – Wikipedia

ルドルフ表 – Wikipedia

Caverio map – Wikipedia

Emperor Maximilian I – A Great Habsburg – Bookophile

Gerardus Mercator – Wikipedia

Library of Congress Completes Purchase of Waldseemüller Map | Library of Congress

Matthias Ringmann – Wikipedia

Nicolaus Germanus – Wikipedia

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