プトレマイオス図(Ptolemy’s World Map)

               

今から2000年近く前の世界地図がどのようなものだったのか想像できますか?

当時の地図が現存しているわけではありませんが、当時の地理学書をもとに描かれた地図は当然ながら不完全な部分を残しつつも1000年以上先まで参照され続けるほどの完成度を誇っていました。

 

それが「プトレマイオス図」と呼ばれるものです。

この記事ではプトレマイオス図とその地図が収められた『地理学』という著書について、特徴や後世への影響などを解説していきます。

 

地図の概要

プトレマイオス図

名称(日本語)プトレマイオス図
名称(英語)Ptolemy’s World Map
製作時期150年頃
製作場所エジプト・アレクサンドリア
所蔵場所ナンシー市立図書館(フランス・ナンシー)など
作者クラウディオス・プトレマイオス
材質写本

 

「プトレマイオス図」は古代ローマの学者クラウディオス・プトレマイオスが150年頃に書いた『地理学(ゲオグラフィア)』という著書の記述をもとにして作られた世界地図です。

15〜16世紀にかけての同書の写本内の地図が多数現存しています。

 

クラウディオス・プトレマイオス

クラウディオス・プトレマイオス

プトレマイオス(83年頃〜168年頃)の人生についてわかっていることは多くはありません。

彼は地理学の他にも数学や天文学といった分野でも活躍し、功績を残しています。
例えば天文学においては著書『アルマゲスト』で地球が宇宙の中心であるという天動説を唱え、後の世代にも大きな影響を与えています。

 

 

プトレマイオスの『地理学』

先に触れたように「プトレマイオス図」はプトレマイオスの著書『地理学』をもとにして作られた地図です。

では『地理学』とは一体どのような書物なのでしょうか?こちらの項目で簡単に解説します。

内容

『地理学』は一言で言うと、当時知られていた世界(オイクメネという)の様々な地点の位置を緯度と経度を用いて記した本です。
当時知られていた世界というのはヨーロッパから北アフリカ、アジアにかけての地域で、全8巻のうち2〜7巻にかけて地域ごとに分けて書かれていました。

そして第1巻では地理学と地図投影法について、第8巻ではオイクメネを26枚の地域図に分割する方法を示しています。

 

しかし、実のところオリジナルの『地理学』にプトレマイオスが製作した地図が含まれていたかという点はわかっていません。
後の時代の写本には基本的に1枚の世界地図と、第8巻に従って26枚の地域図(ヨーロッパ10点、アフリカ4点、アジア12点)が収録されることが一般的でした。

 

情報源

プトレマイオスが『地理学』の執筆にあたって最も参照していたのは、現存していないティルスのマリヌスによる著作です。

その他にもローマ人歴史家のタキトゥスによる『年代記』やインド洋周辺について記した『エリュトゥラー海案内記』(作者不詳)、さらには旅人からの情報などが情報源として挙げられます。

 

 

地図の特徴

経緯線の導入

プトレマイオス図及び『地理学』における最も偉大な功績のひとつは経線と緯線を用いていることです。

そもそも経度・緯度の考え方自体はプトレマイオスが考案したものではありませんでした。
紀元前3世紀にエラトステネスが作成した地図において用いたのが始まりです。しかし当初はその間隔はバラバラでした。

エラトステネスの世界地図

エラトステネスの世界地図(19世紀の複製)。それぞれ間隔の異なる経緯線が確認できる。

 

現在のような等間隔の経緯線を考案したのは紀元前2世紀に活躍したヒッパルコスでした。

プトレマイオスはこのヒッパルコスに従って地図上に経緯線を導入しました。

 

 

地図投影法

プトレマイオスは『地理学』の中で二つの地図投影法を紹介しています。そしてこうした投影法の問題を初めて取り上げたことから彼の地図の重要性が伺えます。

 

一つ目に紹介している投影法は単円錐図法と呼ばれるものです。
こちらの図法は扇形をしており、緯線を曲線で、経線を直線で表しています。

単円錐図法

 

もう一つの投影法が修正円錐図法です。
この投影法は前者と異なり、経線まで曲線で表現しています。

修正円錐図法

 

プトレマイオスは二つ目の投影法の方が優れているが、一つ目の投影法の方が簡単な方法であると記しています。

 

 

地理的特徴

この地図には大きく分けて以下の5つの地理的特徴が見られます。

  1. アフリカと東南アジアが陸続きになっており、インド洋が内海となっている
  2. セイロン島が極端に大きい

    「タプロバネ」という名で実際の14倍もの大きさになっています。

  3. インドにデカン高原が描かれていない
  4. カスピ海が東西に長い
  5. ナイル川の源流に「月の山脈」が描かれている

    実在しない伝説上の山脈です。

 

 

地図の伝播と影響

この地図(や『地理学』)は後の世代にも多大な影響を与えました。最初はイスラム圏に、のちにヨーロッパにも広まっていきました。

イスラム圏への伝播

『地理学』のアラビア語翻訳は9世紀に完成しました。

詳しい年代はわかっていませんが、9世紀前半のアッバース朝第7代カリフのアル・マームーンの時代に完成したとの見方が一般的です。
マームーンは学問の発展に力を入れており、ギリシアの文献をビザンツ帝国から多数収集し、それらのアラビア語への翻訳を進めました。その一環として『地理学』のアラビア語翻訳が行われたと考えられているのですね。

マームーンの死後に翻訳が完成したとする説もありますが、いずれにせよ9世紀の終わりまでには完成していたようです。

 

こうして入ってきた『地理学』の影響が見られる事例としてはマームーン統治下に活躍したアル・フワーリズミーの『大地の概念』という地理書があります。これは『地理学』と同じように様々な都市を緯度と経度を用いて記したものです。

他にプトレマイオスの影響を受けているイスラームの地図として、「タブラ・ロジェリアナ」があります。これは1154年にムハンマド・アル=イドリーシーによって作られた地図です。
70点の地域図を繋ぎ合わせたものなので経緯線を用いてるようにも見えますが、実際は経度も緯度も記されていません。

タブラ・ロジェリアナ

「タブラ・ロジェリアナ」

 

このようにイスラーム世界においてプトレマイオスが地図製作に大きな影響を与えたのは間違いありませんが、必ずしも彼の地図が直接的に利用されたわけではありませんでした。例えば『地理学』内で紹介されている二つの地図投影法は使われていなかったようです。

 

 

ヨーロッパへの伝播

『地理学』は中世ヨーロッパにおいても完全に忘れられていたわけではないようで、6世紀以降に度々学者によって言及されてはいました。
しかし経緯線を用いた地図製作法は参照されていませんでした。

ヨーロッパへの完全な伝播に関しては、イタリアのフィレンツェで1406年にヤコポ・アンジェロが『地理学』のギリシア語からラテン語への翻訳を完成させて以降、徐々に進んでいきました。

ヤコポ・アンジェロの『地理学』写本

ヤコポ・アンジェロによってラテン語翻訳された『地理学』

 

しかしアンジェロは『地理学』のテキストのみで、地図までは翻訳しませんでした。
地図の翻訳はヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチらによって行われ、その後イタリアのみならずフランスやドイツ語圏など他のヨーロッパ諸国にも写本がさらに広まっていきました。

通常は一枚の世界地図の他に26枚の地域図を収めていたようですが、地理的知識が徐々に拡大していくと「新図」と呼ばれる新しい地図が追加されるようになりました。
その最初の例がクラウディウス・クラヴスによるスカンジナビア周辺の地図で、1427年のことでした。

『地理学』スカンジナビア周辺図

クラヴスのスカンジナビア周辺図(ニコラウス・ゲルマヌスによる写本内のコピー)

 

さらに1455年にグーテンベルクによって活版印刷術が発明されて以降、さらに多くの写本が出版されるようになりました。

 

こうして普及していったプトレマイオス図の影響を受けた地図も徐々に登場してきます。

例えばヴェネツィアのアンドレア・ビアンコは1436年に完成させた地図書内に、伝統的なマッパ・ムンディと合わせてプトレマイオス図も収録しています。

アンドレア・ビアンコのプトレマイオス図

アンドレア・ビアンコの地図書に収録されたプトレマイオス図

 

またビアンコと共に「フラ・マウロの世界地図」を製作したフラ・マウロはプトレマイオスを参照すると同時に不正確な部分(東南アジアと陸続きのアフリカなど)に関しては批判的でもありました。

フラ・マウロの世界地図

フラ・マウロの世界地図(1450年頃)

 

そしてプトレマイオス図はその後始まる大航海時代の船旅へと駆り立てる要因となると同時に、新しい地理的情報を反映させながら地図製作の歴史に大きく貢献していきました。

しかしアブラハム・オルテリウスによる世界初の近代的地図帳『世界の舞台』やゲラルドゥス・メルカトルによる新たな地図投影法が登場する16世紀後半を過ぎると、徐々にその影響力は弱まっていきました。

 

 

まとめ

「プトレマイオス図」および『地理学』のポイントをまとめます。

 

POINT

  • 「プトレマイオス図」は『地理学』の内容に基づく世界地図である
  • 経緯線を用いた地図投影法を二つ紹介している
  • イスラーム圏やヨーロッパの地図製作にも影響を与えた

 

こうした古代の地理学の集大成とも言える地図が1000年以上先まで与えた影響を鑑みると、プトレマイオスが史上最も偉大な地理学者の一人であると言っても過言ではないでしょう。

 

 

参考文献


織田武雄 (2018) 『地図の歴史 世界篇・日本篇』講談社.

神﨑順一 (2015) 「十五、十六世紀初期の プトレマイオスの『地理学』出版と世界図」, 香散見草:近畿大学中央図書館報 No.48, 2015, p.17-22.

ブロトン, ジェリー (2015) 『世界地図が語る12の歴史物語』西澤正明訳, バジリコ株式会社.

Gerald R. Tibbetts (1987) ‘The Beginnings of a Cartographic Tradition’ in The History of Cartography, Volume 2 Cartography in the Traditional Islamic and South Asian Societies ed. by J. B. Harley and David Woodward.

O. A. W. Dilke With Additional Material Supplied by the Editors (1987) ‘The Culmination of Greek Cartography in Ptolemy’ in The History of Cartography, Volume 1 Cartography in Prehistoric, Ancient, and Medieval Europe and the Mediterraneaned. by J. B. Harley and David Woodward.

Patrick Gautier Dalché (1987) ‘The Reception of Ptolemy’s Geography (End of the Fourteenth to Beginning of the Sixteenth Century)’ in The History of Cartography,Volume 3 Cartography in the European Renaissance ed. by David Woodward.

S. Maqbul Ahmad (1987) ‘Cartography of aI-SharIf aI-IdrIsI’ in The History of Cartography, Volume 2 Cartography in the Traditional Islamic and South Asian Societies ed. by J. B. Harley and David Woodward.

アンドレア・ビアンコ – Wikipedia

エリュトゥラー海案内記 – Wikipedia

クラウディオス・プトレマイオス – Wikipedia

経度の歴史 – Wikipedia

地理学 (プトレマイオス) – Wikipedia

月の山脈 – Wikipedia

プトレマイオス図 – Wikipedia

マアムーン – Wikipedia

Annals (Tacitus) – Wikipedia

Claudius Clavus – Wikipedia

Nicolaus Germanus – Wikipedia

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