「地図」と言えば目的地までのルートや場所同士の位置関係といった、地理的情報を確認するために使われているものですよね。
何を今更当たり前のことを言ってるんだと思われた方もいるかもしれませんが、歴史上地理的情報の正確性以外がより重視された地図が存在していました。
その一例が中世ヨーロッパの世界地図であるマッパ・ムンディなのですが、この記事ではその極致とも言える「ヘレフォード図」について紹介していきます。
同地図の持つ宗教的な意義を理解していただければ幸いです。
地図の概要
名称(日本語) | ヘレフォード図 |
名称(英語) | Hereford Mappa Mundi |
製作時期 | 1300年頃 |
所蔵場所 | ヘレフォード大聖堂(イギリス・ヘレフォード) |
作者 | ハルディンガムとラフォードのリチャード(リチャード・デ・ベロ) |
材質 | ベラム(子牛の皮) |
大きさ | 縦158cm×横133cm |
ヘレフォード図は1300年頃に作成されたマッパ・ムンディです。
マッパ・ムンディとは中世ヨーロッパで作られた世界地図の総称で、図像などにおいてキリスト教的世界観が反映されているのが特徴と言えます。
現存する最大のマッパ・ムンディ
このヘレフォード図は縦158cm×横133cmと、現存するマッパ・ムンディの中では最大のものとなっています(焼失したものを含めると『エプストルフの世界図』が最大)。
イギリスのヘレフォードにあるヘレフォード大聖堂に所蔵されています。
ヘレフォード大聖堂に実際にヘレフォード図を見に行った時の様子を記事にしているので、よろしければそちらもご覧ください。
地図の特徴
地図の形式
一見すると世界地図と認識しづらいですが、地図の向きが現在私たちの目にするものと異なっていることが一因かもしれません。
ヘレフォード図では他のマッパ・ムンディと同様、東が上に描かれています。
このように東を上にして三つの大陸を描いた地図はTO図と呼ばれ、中世ヨーロッパにおいて製作された地図に多く見られます。
当時ヨーロッパで認知されていたアジア・ヨーロッパ・アフリカの三大陸をO(大洋)の中に描き、各大陸をTで表現された地中海、ナイル川、ドン川が隔てています。
マッパ・ムンディに関する詳しい解説は、以下の「地図講義」の記事をご参照ください。
地図の内容
ヘレフォード図には主要な都市や川、山などの地理的情報のほか、聖書や伝承に関する記述や図像が描かれておりその数は1,100点近くにも及びます。
以下、主要な記述や図像についてテーマごとに説明していきます。
聖書関連の記述・図像
最後の審判
地図の円形部分の外側上部には最後の審判の様子が描かれています。
五角形の頂点、地球の上ではキリストが両手を上げて十字架のはりつけによる傷を見せています。
キリストの右側には天国が描かれ、救済された者たちが天使に引き連れられています。
一方、左側は地獄で裸にされた者たちが鎖で繋がれ、悪魔によって地獄の口へと連れられています。
エデンの園と失楽園
前述のように地図の円形部分の最上部(最も東)にはエデンの園が円形の島として描かれています
内部にはエデンの園に源流を持つと考えられていた四つの川(ナイル川・ユーフラテス川・ティグリス川・インダス川)が見られます。
楽園内左側にはアダムとイヴの姿が見られますが、楽園のすぐ右下には失楽園の様子が描かれており、剣を持った天使に追われる彼らの姿も確認できます。
ノアの箱舟
旧約聖書『創世記』に登場するノアの箱舟です。舟の窓からは動物や蛇や人間の姿が見られます。
バビロンとバベルの塔
ヘレフォード図の図像の中でも一際大きく描かれているのがノアの箱舟と同じく『創世記』に登場するバベルの塔です。
塔の右上にある記述はバベルの塔が建てられたとされる都市バビロンのものであり、ヘレフォード図の中でも最長のものとなります。
アブラハム
バビロンのすぐ右手には男性の胸像があります。
名前は明かされていませんが、地名が彼の出身地であるウルとなっていることから預言者アブラハムを表しているとされています。
モーセと出エジプト
地図の右上に赤で表現されている紅海の間(シナイ半島)にはモーセがいます。
彼は髭を蓄え、頭には金色の角を生やしています。
少しわかりにくいですが、跪くような姿勢で十戒を授かっています。
彼の周りに何やら線が描かれていますが、これは旧約聖書の『出エジプト記』においてモーセが虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出した時の道筋を表しています。
彼らは右側のドーム状の建物で表されたラメセスの街から出発し、最終的にエリコに到達しています。
途中紅海の上を通っていますが、これはかの有名なモーセが海を割って進んだ場所を表しています。
エルサレム
キリスト教の聖地であるエルサレムは地図の中心に描かれています。
城壁に囲まれた円形で表されており、その内部には東西南北に四つの門が、そしてそれぞれの門の間に塔が描かれています。
前述ようにこの地図に限らず中世ヨーロッパで作られたマッパ・ムンディはその多くがエルサレムを中心に据えているのですが、これは旧約聖書『エゼキエル書』の第5章5節にある
わたしはこのエルサレムを万国の中に置き、国々をそのまわりに置いた。
という一文が元になっていると言われています。
都市などの地理的情報
現代のものとは異なるとは言えマッパ・ムンディは地図の一種ですので、当然都市などの地理的情報も含まれていました。
ここでは宗教的・政治的に重要なものをいくつか紹介します。
ローマ
イタリア半島で一際大きなアイコンを伴っているのがローマです。
ローマはペトロとパウロの殉教の地であり、また中世の西ヨーロッパにおいてはキリスト教の中心地となるなどキリスト教にとって非常に重要な都市であり、巡礼地としても人気でした。
サンチャゴ・デ・コンポステーラ
聖ヤコブの遺骸が祭られているサンチャゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ローマに並ぶ巡礼地です。
ヘラクレスの柱
イベリア半島のジブラルタルと北アフリカのセウタの間、ジブラルタル海峡はギリシア神話の英雄ヘラクレスに由来して「ヘラクレスの柱」と呼ばれています。
13世紀当時はアメリカ大陸はヨーロッパ人に知られておらず、ヘラクレスの柱はその先には何もない世界の果てであると認識されていました。
また世界の果てという認識からキリスト教における終末を連想させる場所でもありました。
パリ
ヨーロッパで一際大きく描かれているのがパリです。
表面には多数の傷が見られますが、これはイギリスの反仏感情によるものだと考えられています。
ロンドン
当時からイングランド最大の都市であったロンドンはブリテン島の中で最も大きく描かれています。
ヘレフォード
ヘレフォード図が収められている街であるにもかかわらず、ヘレフォードは地図上であまり目立っていないように見えます。
これは参考にした地図上に載っていなかったヘレフォードを新しく描き足したことで、十分なスペースがなくなってしまったためと考えられています。
また表面が擦れて消えかかっていますが、これは地図を見た人々が度々ヘレフォードを指で差していたためです。
アレクサンダー大王伝説関連の記述・図像
アレクサンダー大王(紀元前356〜323)はマケドニアの王で、東方遠征によってギリシャからインドまでまたがる巨大な帝国を作り上げました。
彼の遠征の伝承は12〜13世紀のヨーロッパで人気を博し、彼に関する多くのストーリーが語られました。
アレクサンダー大王の宿営地
地図の右側、アジアとアフリカの境目あたりにある五つの尖塔を持つ建物はアレクサンダー大王の宿営地です。
アレクサンダー大王の祭壇
アレクサンダー大王の祭壇は彼の遠征によって拡大した帝国の領域を示しています。
各方位において勢力圏の果てを示しており、極東に三つ、極北に二つの祭壇が確認できます。
また、祭壇ではないものの北東には長い記述とともにアレクサンダー大王が築いたとされる四つの塔を伴った壁が確認できます。
これは北東の寒冷地に住んでいるとされていた異教徒から帝国を守るためのものと言われています。長い記述部分ではその土地や住人がいかに恐ろしいものかを語っており、住人は「人肉を食べ血を飲む、邪悪なカインの息子たち」と描写されています。
現実及び空想上の生物たち
動物寓意譚
中世ヨーロッパでは動物に関する物語が非常に人気でした。
それらは動物寓意譚と呼ばれ、動物たちはそれぞれ特徴を持っているとされ、そうした特徴はキリスト教の聖書的な教えと結びつけて語られました。
地図上の生物たちは必ずしも説明を伴わず図像と名前のみが与えられている場合も多いですが、動物寓意譚上と共通のイメージを持つものも多く、当時人気だった動物寓意譚とのつながりを窺い知ることができます。
怪物たち
アジアやアフリカなど当時のヨーロッパ人にとって情報が少なかった地域を中心に、何やら不気味な怪物たちが描かれています。
これらは古代ローマのプリニウスによる『博物誌』などの著書にも登場する、古くから伝わる伝承です。
中でも地図の右側、アフリカの部分にはたくさんの怪物たちが並べられています。
製作意図
キリスト教の世界観を反映させたヘレフォード図。
その製作意図としてはやはり宗教的なものが大きいのですが、中でも主に二つの意図が考えられます。
一つ目は聖書に基づく歴史を時間軸に沿って示すというものです。
この地図の中央を上から下に見ていくと、エデンの園・バベルの塔・エルサレム・ローマ・ヘラクレスの柱という5つの図像がそれぞれほぼ等間隔に並んでいることに気が付きます。
これはそれぞれ天地創造と失楽園→旧約聖書におけるバビロン→キリストとの関係も深いエルサレム→ローマ帝国の首都ローマという風に、歴史の中心となる場所が時系列に沿って東から西へと移動し、最終的に終末を連想させる最西端へと向かう過程を示しているのです。
二つ目の意図としては、巡礼への関心を呼び起こすためと考えられます。
地図上にはエルサレム、ローマ、サンチャゴ・デ・コンポステーラというキリスト教で最も重要な三つの巡礼地が赤字で強調された形で示されています。
また巡礼路上の都市も記されており、この地図を見ることで信者の巡礼への関心を高めさせる意図があったと考えられます。
まとめ
今回のポイントを簡単におさらいします。
POINT
- 現存する最大のマッパ・ムンディである
- 地理的情報に加えて聖書・伝承などに関する図像もあり、その数は合わせて1,100近くにも上る
- 聖書に基づく歴史を示したり巡礼への関心を高めさせるなど、宗教的な意図で作られた
上記のような特徴を持つヘレフォード図は実物を見学することも可能であり、中世ヨーロッパのキリスト教的世界観を現代まで克明に伝えています。
参考文献
ブロトン, ジェリー (2015) 『世界地図が語る12の歴史物語』西澤正明訳, バジリコ株式会社.
ルーニー, アン (2016) 『地図の物語 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか』井田仁康日本語版監修, 高作白子訳, 日経ナショナルジオグラフィック社.
Arrowsmith, Sarah. “MAPPA MUNDI Hereford’s Curious Map.” Logaston Press, 2015.
Westrem, Scott D. “Making a Mappamundi: The Hereford Map.” Terrae Incognitae, 34:1, pp. 19-33, 2002.
Wogan-Browne, Jocelyn. “Reading the world: the Hereford mappa mundi.” Parergon, Volume 9, Number 1, pp. 117-135, 1991.
Hereford Map, Jerusalem again as centre and the Translatio Imperii – Centres and Peripheries
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