坤輿万国全図(マテオ・リッチ)

               

坤輿万国全図、マテオ・リッチ……

世界史の授業でも扱われたりするので名前だけでもぼんやり聞き覚えのある人は多いかもしれません。

 

しかしマテオ・リッチがどんな人物なのか、そして「坤輿万国全図」がどんな地図なのかを説明できる人はあまり多くはないのではないでしょうか。

そこでこの記事ではリッチがどんな経緯で坤輿万国全図を製作し、それがどういった特徴を持っているのか、そして日本への影響などについても解き明かしていきたいと思います!

 

地図の概要

坤輿万国全図

名称(日本語) 坤輿万国全図
名称(中国語) 坤輿萬國全圖
名称(英語) Kunyu Wanguo Quantu
製作時期 1602年(初版)
所蔵場所 宮城県図書館(日本・宮城県)など
作者 マテオ・リッチ
材質 写本
大きさ 縦約180cm×横約400cm

 

坤輿万国全図こんよばんこくぜんず」は、1602年にイタリアの宣教師マテオ・リッチが明朝末期の中国で作成した漢訳の世界地図です。
6枚1組で構成されています。

 

上の画像のものは1604年ごろに日本に輸入されたもので、漢字圏以外の地名に関しては横にカタカナが振られています。

坤輿万国全図 ヨーロッパ

ヨーロッパの一部。漢字の右横にカタカナが振られている。

日本の地理的知識拡大に大きな影響を与え、また鎖国下でも海外の情報を知るための重要な資料となっていました。

 

マテオ・リッチ

マテオ・リッチ

マテオ・リッチ

この地図の作者であるマテオ・リッチ(1552〜1610年)はイタリア出身のイエズス会士です。中国名は利瑪竇(りまとう)です。

イエズス会というのは、キリスト教の世界各地への宣教に努めた、カトリック教会の男子修道院です。
創設はかの有名なフランシスコ・ザビエルやイグナティウス・ロヨラらによるものです。

 

1568〜1577年にかけて、リッチはローマで学者クリストファー・クラヴィスのもと地理学や地図製作法などを学びました。
古代ローマ時代の地理学者プトレマイオスに影響を受けていた彼の教えが、のちのリッチの地図製作にも影響を与えることなります。

 

インドでの宣教活動ののち、1582年にマカオへ赴き中国語や中国文化を研究しました。

その後北京入りし、時の明朝皇帝の万暦帝の宮廷に入りました。
そこで製作されたのがこの「坤輿万国全図」であり、リッチ自身が東西文化の架け橋となったように、この地図は中国とヨーロッパの関係を表す重要な史料となっています。

 

 

製作の背景

この地図は度重なる改訂の末に完成しました。

大元となったのが1584年にリッチが知事のためにヨーロッパ製の世界地図を漢訳した「山海輿地全図」と呼ばれる地図でした。
その後1600年に誤りなどを改正したものが刊行され、それをさらに大判にして国名や風俗、産物などの説明を加えてできたのがこの「坤輿万国全図」でした。

山海輿地全図

「山海輿地全図」(『三才図会』という書物内のもの、1607年)

 

 

地図の特徴

その形式や情報源などをもとに、「坤輿万国全図」の特徴を見ていきましょう。

地図の形式

この地図は1570年にアブラハム・オルテリウスによって出版された「世界の舞台」内の世界地図と同じく、楕円型をしています。

オルテリウスの世界地図

アブラハム・オルテリウスの世界地図(1570年)

地図の南側に巨大な大陸が描かれていることからも、坤輿万国全図とオルテリウスの世界地図の共通点が見て取れます。

 

なお、最初にこのような楕円型の地図を出したのはイタリアのフランチェスコ・ロッセッリで、1508年のことでした。

フランチェスコ・ロッセッリの世界地図

フランチェスコ・ロッセッリによる世界初の楕円型世界地図(1508年)

 

このように当時ヨーロッパで見られた楕円型の地図であることから、坤輿万国全図がヨーロッパの地図製作に影響を受けていたことがわかります。

 

 

地図の配置

坤輿万国全図は中国が中心に据えられ、アメリカ大陸が東側に描かれています。
日本が中心の地図に見慣れた私たちからしたら違和感はありませんが、当時はこうした形式の地図はありませんでした。
上で紹介したオルテリウスの地図などを見ていただければ中国が右端に、そしてアメリカが西に描かれているのがわかると思います。

ではなぜマテオ・リッチはこのような配置にしたのでしょうか?

その理由として二つ挙げられます。

 

一つ目はこの地図がプトレマイオスの影響を受けている点です。

プトレマイオス図

プトレマイオスの地図(15世紀の複製)

当時ローマ教会ではプトレマイオス的世界観が主流となっており、それがローマで地理学を教わっていたリッチにも影響を与えたと考えられます。

ヨーロッパを西の端に据えた、こうしたプトレマイオス的な世界観をそのまま東へ伸ばしていった結果がこの地図なのです。

こうした東への地理的知識の延伸は、古代ギリシャやローマ時代に典型的なものでした。

 

二つ目は宗教的な理由も考えられます。

キリスト教にとって東というのはとても重要な方角です。
というのも、中世ヨーロッパにおいては東にエデンの園があると考えられており、当時の地図(マッパ・ムンディ)も東が上になっていました。

ロンドン詩篇の世界図

東が上となったマッパ・ムンディの例(ロンドン詩篇の世界図 13世紀・イングランド)

 

イエズス会の修道士であったリッチが神聖な方角である東への世界観の延伸を図ったのは、宗教的に見ても不思議ではありません。

 

こうした地理学と宗教の両側面から、このような配置になっているとされています。

 

 

地図の内容

ここでは地図内のヨーロッパ・中国・日本・アメリカ、そして枠外の図を少し掘り下げて見ていきましょう。

ヨーロッパ

坤輿万国全図 ヨーロッパ

この地図は前述のようにヨーロッパの地図の影響を受けているにもかかわらず、ヨーロッパの描写はあまり詳細ではありません。地図全体で1100ほどある地名のうち、ヨーロッパのものは13%ほどしかないそうです。

特に形式的には似ているにもかかわらず、内容的にはプトレマイオスの地図の影響をあまり反映していないように思います。

下の中国の画像と比べて、情報の密度が低いですね。

 

 

中国

坤輿万国全図 中国

ヨーロッパと比較して、中国の描写はより詳細になっています。

情報源として、現地(中国)の地図や文献が使われていたようです。

 

 

日本

坤輿万国全図 日本

日本の描写に関しては必ずしも正確ではないように思います。

形は比較的特徴を捉えているように見えますが、本州の北側、本来ならば蝦夷(北海道)があるべき場所に描かれた島に佐渡・北陸道・能登などの地名が書かれています。

 

参考までに、同時代のヨーロッパで作られた日本地図を紹介します。
下の地図は1595年版の「世界の舞台」(アブラハム・オルテリウス)内のもので、ヨーロッパ初の近代的な日本地図です。

オルテリウスの日本地図

アブラハム・オルテリウスの「世界の舞台」内の日本地図(1595年)

 

 

アメリカ

この地図はアメリカが描かれた中国最初の地図です。

その点においても重要なのですが、もう一つ重要なのがその情報源です。

坤輿万国全図 南アメリカ

 

南アメリカ大陸の形に注目していただきたいのですが、これはヨーロッパの中でも大西洋側ではなく地中海側の国の地図製作の影響を受けています。

 

オルテリウスの世界地図 南アメリカ

アブラハム・オルテリウスの世界地図の南アメリカ部分(1564年)

例えばこちらの画像は、先に紹介したアブラハム・オルテリウス(フランドル出身)の世界地図の南アメリカの部分なのですが、坤輿万国全図と比較して形がだいぶ異なっていることがわかります。

 

一方、以下の地図はイタリアの地図製作者ジャコモ・ガスタルディが1546年に最初に出版した世界地図なのですが、こちらの方は南アメリカ大陸の形が坤輿万国全図と似ているのがわかります。

ジャコモ・ガスタルディの世界地図

出典:Home – Utrecht University

 

よって地図の描写に関しても、ヨーロッパの中でも地中海側の影響を強く受けていると言えます。

もっともマテオ・リッチ自体イタリアの出身ですので、自国の地図からの影響を受けているのは当然と言えるかもしれません。

 

 

四隅

地図の枠外の四隅にはそれぞれ異なる図が描かれています。

右の上下の隅には「九重天図」、「天地儀」という天体図があり、プトレマイオスに基づく地球球体説と天動説を伝えています。

九重天図

天地儀

 

また左側には北極と南極を中心とした半球図が描かれています。

北極半球図

南極半球図

 

 

日本への伝播と影響

坤輿万国全図はその初版からほどなくして、1604年頃には日本に伝わっていたとされています。
歴史上、中国から文化や知識を吸収してきた日本ではこの地図も受け入れられ、様々な影響を与えました。

地球球体説

16世紀中頃以降、フランシスコ・ザビエルをはじめとする日本を訪れたイエズス会士によって地球球体説は一部の知識人の間で知られてはいましたが、天体図など地球球体説に基づく内容を含むこの地図によって説はさらに広く受け入れられることとなりました。

 

五大陸

アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカという五つの大陸からなる広い世界像もまた、ヨーロッパによる知識をもとにしたこの地図によって日本に提示されました。

 

地名と地理学用語

地名や用語といった地理学に関する知識もこの地図と一緒に普及しました。

地名に関してはヨーロッパの言語由来のものの漢字表記が定着しました。例えば「亜細亜(アジア)」や「欧羅巴(ヨーロッパ)」などといった表記もこの地図を由来としています。

また地理学用語としては赤道、北極、南極など現在私たちが利用しているものが例として挙げられます。

 

 

こうした新しい知識はものによっては禁教令や鎖国によって十分な浸透が阻まれたという側面もありました。(地球球体説など)

しかしながらその後日本で作られた多くの世界地図が坤輿万国全図に倣ったものであるなど、鎖国下においても利用され続けたことは間違いありません。

 

 

まとめ

今回のポイントは以下の通りになります。

 

POINT

  • イエズス会士のマテオ・リッチは明朝皇帝の万暦帝のもと「坤輿万国全図」を製作した
  • 製作地は中国だが、ヨーロッパ(特にイタリア)の地図製作の影響を大いに受けている
  • 一方で当時としては珍しく中国を中心に据えている
  • 日本の地理的知識拡大に貢献し、また鎖国下においても海外の情報を知るために使用された
  • 中国とヨーロッパの関係を示す重要な史料となっている

 

この記事を通して少しでも坤輿万国全図やマテオ・リッチについての理解を深めていただけたならば幸いです。

 

 

参考文献


青山宏夫 (2013) 「マテオ=リッチ世界図と近世日本」, 人文地理学会大会 研究発表要旨 2013(0), 12-15.

アン・ルーニー 著『地図の物語 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか』 日経ナショナルジオグラフィック社、2016年

川村博忠 著『近世日本の世界像』 ぺりかん社、2003年

Livieratos, Evangelos. “The Matteo Ricci 1602 Chinese World Map: the Ptolemaean echoes.” International Journal of Cartography, 2:2, 186-201, 2016.

アブラハム・オルテリウス – Wikipedia

イエズス会 – Wikipedia

クリストファー・クラヴィウス – Wikipedia

山海輿地全図 – Wikipedia

指定文化財〈重要文化財〉坤輿万国全図 – 宮城県公式ウェブサイト

マテオ・リッチ – Wikipedia

Francesco Rosselli – Wikipedia

Giacomo Gastaldi – Wikipedia

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