地図を頭に思い浮かべてみて下さい、と言われたらほとんどの方が以下のような地図を想像するのではないでしょうか。
ただの日本地図と世界地図ですが、これらは皆、北が上になっています。
あまりにも見慣れているので当たり前のことに思えるかもしれませんが、なぜ地図は北を上にしているのか疑問に思ったことはありませんか?
この記事では地図が一般的に北を上にして描かれている理由と、歴史上地図はどのような向きで描かれてきたのかという変遷を辿っていきたいと思います!
地図はなぜ北が上なの?
航海に便利だったから
地図が北を上に書かれるようになったのには航海上の理由があります。
ヨーロッパ人は大航海時代に長距離の航海に乗り出しましたが、当時は北極星やコンパスを利用して航海を行っていました。
北に見える北極星を目印に航海する際には地図も北を上に向けるのが便利ですし、コンパスも北を確認するために利用されていたため同じく北を上にして地図を見ることが多かったことが予想できます。
こうした航海上の利便性から生まれた慣習により、ヨーロッパ製の地図は北を上に向けることが一般的になり、ヨーロッパ人が大航海時代を経て世界中に乗り出すにつれてそれが広まっていったと考えることができそうです。
地図の向きの歴史
現代の地図は北を上にすることが一般的ですが、歴史的に見てみると北が上の地図というのは必ずしも一般的ではありませんでした。
文化圏ごとに地図の向きの歴史を概観していきましょう。
ヨーロッパ
ヨーロッパは現代の私たちが目にする地図の方向を決定付けましたが、歴史的に見てみると必ずしも北が上だった訳ではありませんでした。
プトレマイオス図(北が上)
まず古代ローマの時代にまで遡ってみると、当時は北が上になっていたと考えられます。
2世紀に活躍したクラウディオス・プトレマイオスは『地理学』という書籍を記しましたが、その本を基に後の時代に作られた世界地図は北が上になっています。
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マッパ・ムンディ(東が上)
しかし中世ヨーロッパにはこうした古代の科学はあまり継承されず、キリスト教の世界観に基づく世界地図(マッパ・ムンディ)が作られていました。
マッパ・ムンディにおいては、エデンの園が存在するとされ、神聖な方角であった東が上となっていました。
ポルトラーノ海図(方向なし)
一方、中世後期からその存在が確認されているポルトラーノ海図と呼ばれる海図においては、決まった向きはありませんでした。
ポルトラーノ海図は航海の状況に応じて回転させながら使われていたようです。
大航海時代以降(北が上)
海図に決まった向きはなかったとは言え、その後大航海時代に入ると先に説明したような航海上の理由から、北を上にすることが一般的に好まれるようになっていきました。
そして最終的にポルトラーノ海図の代わりとしてメルカトル図法を用いた地図が16世紀後半にゲラルドゥス・メルカトルによって作られたことで、北を上にするという慣例が定着したと考えられています。
アジア
中国
中国の地図ではどの方角が上に向けられていたのでしょうか?
それは私たちにもお馴染みの「北」です。
なぜ北が上だったかと言うと、中国では北が神聖な方角とされていたからです。
中国の皇帝は陽の光が差し込んできて、また温かい風が吹いてくる南に向けて座ることが一般的でした。そのため、皇帝を見上げる形で北を上にした地図が作られていたという訳です。
なお、中国語において「背」と「北」という漢字は同じ語源を持っているそうですが、それは皇帝の背中が北に面していたことに由来しているようです。
日本
かつての日本製の地図には様々な方向のものが見られました。
例えば江戸時代以前に作られていた行基図と呼ばれる日本地図においては、南が上のものや東や西を上にしたものもありました。
南を上にしたものとしては現存する最古の行基図でもある「仁和寺所蔵日本図」(1305年)があります。こうした南を上にした行基図は朝鮮から見た日本の形を表していると考えられています。
また東や西を上にした行基図の中には縦長の掛け軸に描かれたものが多いようです。
また江戸時代に作られていた都市図においても、北を上に向けたものはあまり見られません。
例えば「江戸一目図屏風」のような江戸の俯瞰図は西を上にして描かれることが多く、これは手前から奥に東京湾、江戸城、富士山という構図にするためであると考えられます。
また、「切絵図」と呼ばれるタイプの都市図では、よく見てみると地図上の大名屋敷の名前の向きがバラバラであることに気がつきます。これは表門に面して名前が書かれているためです。
このように江戸時代までに作られた日本図や都市図は北を上にしたものが必ずしも一般的ではありませんでしたが、世界図をはじめとする江戸時代に作られた他の多くの地図は北を上にしたものが多くなっていきます。
これは中国やヨーロッパ製の地図の影響を受けたものと考えられます。
イスラーム
初期のイスラーム文化圏の地図では南を上にすることが慣例でした。
これはイスラーム教にとって南が重要な方角だったからです。
というのもイスラーム教ではメッカにあるカーバ神殿の方角に祈りを捧げるのですが、初期にイスラーム教に改宗した地域の多くはメッカより北に位置しており、南に向けて祈ることが多かったのです。
そのためにムスリムにとって南が礼拝の方角として重要であり、地図も南を上にして描かれていたということです。
南を上にしたイスラーム世界の地図としては、10世紀に活躍したイブン・ハウカルによる円形の世界地図や、
12世紀のアル=イドリーシーによる「タブラ・ロジェリアナ」などが挙げられます。
しかしイスラームの地図製作がヨーロッパの影響を強く受けるようになると、地図の向きは北を上にしたものが増えていきます。
こうした傾向はヨーロッパ方面へ版図を拡大していったオスマン帝国の時代に顕著で、16世紀の「ピリ・レイスの地図」や17世紀のキャーティプ・チェレビーによる地図はヨーロッパ風の形式で北が上向きになっています。
まとめ
今回は地図が北を上向きとしている理由と様々な地域における地図の向きに関する歴史を紹介させていただきました。
方向も気にしながら色々な古地図を見てみると、年代を推定できたり新たな発見があったりして面白いかもしれませんね!
参考文献
織田武雄 (2018) 『地図の歴史 世界篇・日本篇』講談社.
金田章裕, 上杉和央 (2012) 『日本地図史』吉川弘文館.
ブロトン, ジェリー (2015) 『世界地図が語る12の歴史物語』西澤正明訳, バジリコ株式会社.
三好唯義編 (2014) 『新装版 図説 世界古地図コレクション』河出書房新社.
三好唯義, 小野田一幸 (2021) 『新装版 図説 日本古地図コレクション』河出書房新社.
Maps have ‘north’ at the top, but it could’ve been different – BBC Future
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