私たちが普段目にする多くの路線図は地図ではありません。
なぜでしょうか?
それは地理的正確性よりも駅間の相対的な位置関係や路線の接続関係を示すことを優先した簡潔な図になっているからです。
しかし昔の路線図はただ地図上に駅と線路を配置していたのみでした。
現在のような路線図が誕生したのは世界最古の地下鉄が走るイギリスの首都・ロンドンでのことです。
そこで今回は、ロンドンの地下鉄路線図の変遷と、そこで誕生した路線図の他の都市への影響について見ていきたいと思います。
初期の地下鉄路線図
19世紀から20世紀初頭にかけては複数の会社がそれぞれ路線を保有していたという事情もあり、統一した地下鉄路線図は存在しませんでした。
1908年に複数の会社が統合すると、それに伴って初めて統合された路線図も作られました。

1908年のロンドン地下鉄路線図
現在の路線図と比較して、とても見づらいですよね。
駅は地理的に正確な場所に配置されているのですが、そのせいで路線同士が絡み合ったりしてゴチャゴチャしています。
また中心部のみで、郊外の路線が描かれていません。
郊外まで含めて広域な路線図にすると路線や駅が小さくなってしまい、さらに見にくくなってしまうことが原因のようです。
以下のものは1926年に作られた、上のものより広域な路線図ですがお世辞にも使いやすいとは言えません。

1926年のロンドン地下鉄路線図
しかし改善点も見られ、駅が等間隔に並べられるようになりました。
ハリー・ベックの路線図
こうしたごちゃついた路線図を見やすいものに進化させたのがハリー・ベックという男です。
彼はロンドン地下鉄で働いていた元エンジニアでした。
彼は、地下を走る地下鉄の利用者にとって地上の地理に関する正確性は問題ではないということに着目しました。
そこで地図としての側面を捨て、駅の配置をわかりやすく改めました。
また、路線の表現の改良も行いました。
電気回路図に着想を得て、縦・横・斜めの直線のみで路線を表したのです。

ハリー・ベックによる地下鉄路線図(1933年)
彼の路線図は1931年に最初に考案されましたが、当初は採用されませんでした。
しかし1933年に自費で出版したところ、瞬く間に評判を呼び正式に採用されるに至りました。
一ヶ月に75万部が捌けるほどの人気ぶりで、すぐに増刷されたようです。
現在まで
ベックはその後30年近くにわたって路線図のデザインを担当していましたが、1960年に退くこととなります。
その原因となったのがハロルド・ハッチンソンという男で、彼はベックの許可なしに路線図を改変してしまいました。
具体的にはカーブを角度が急な尖った線で表現したり、一部区間(東部のリバプール・ストリート駅周辺など)を複雑にしたり、乗り換え駅の記号を変更したりといった改変がなされました。
これに対してベックは不満を覚え、デザインの担当を降りました。

ハロルド・ハッチンソンによる地下鉄路線図(1960年)
しかしハッチンソンの路線図はあまり広くは受け入れられず、その後1962年にデザイン担当に就いたポール・ガルバットはカーブの角を取るなど、ベックの頃のデザインに回帰させました。
その一方で乗り換え駅の表示などは、多少の変更は加えたもののハッチンソンのものを踏襲しています。
彼はその後20年以上にわたってデザインの担当を続け、その中で現在の路線図の形がほぼ完成したと言えます。

ポール・ガルバットによる地下鉄路線図(1964年)
他の都市への波及
ベックが考案したシンプルでわかりやすい路線図は、他の多くの都市にも取り入れられることとなります。
例えば日本では営団地下鉄(現・東京メトロ)が1972年に初めてベックのようなダイアグラム型の路線図を取り入れました。
デザイナーは「いいちこ」のパッケージをデザインしたことでも知られる河北秀也氏です。
彼もまたベックのように鉄道会社からの依頼ではなく自主的に作成したのでした。
こちらが実際の路線図なのですが、複雑な東京の路線を縦・横・斜め45度の線のみで表すことでスッキリ見せています。
参考までに以下が1969年の営団地下鉄の路線図になります。
縦横の線は比較的きれいにまとまっていますが、斜めの線の角度が一定ではなく、東京や銀座周辺が複雑に入り組んでしまっていますね。
描かれている路線の数が異なるので単純な比較はできませんが、河北氏のデザインによって、わずか数年の間に私たちが現在よく目にするものにグッと近づいたことがよくわかります。
まとめ
今回はロンドンの地下鉄路線図の変遷とベックによるダイアグラム型路線図の影響について解説しました。
90年近くにわたって世界中で使われ続けているダイアグラム型路線図を考案した彼の功績が非常に大きなものであることは間違いありません。
昔のゴチャゴチャした路線図を知ることで、いかに普段私たちが目にしているものが洗礼されているかを改めて実感できたのではないでしょうか。
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