マダバのモザイク地図(Madaba Mosaic Map)

               

 

 

地図の概要

マダバのモザイク地図

名称(日本語)マダバのモザイク地図
名称(英語)Madaba Mosaic Map
製作時期542〜570年
所蔵場所聖ジョージ教会(ヨルダン・マダバ)
作者不明
材質モザイク
大きさ縦5m×横16m

 

「マダバのモザイク地図」(あるいはマダバ地図)はヨルダンのマダバという都市の聖ジョージ教会内に見られるモザイクでできた地図です。

パレスチナ周辺を描いた最古の例とされていますが一部分しか現存していません。

 

歴史

このモザイク地図は542年〜570年の間に作られたと考えられています。

その理由としては、542年に建てられたネア・テオトコス聖堂がエルサレムに描かれている一方で570年以降にエルサレムに建てられた建物が描かれていないことが挙げられます。

マダバのモザイク地図 エルサレム

エルサレム(黄色で囲った建物がネア・テオトコス聖堂)

 

その後614年にマダバの街はササン朝ペルシアに侵攻され、さらに8世紀にはイスラーム系のウマイヤ朝の侵攻も受け、その際にモザイクの人や動物の部分が除去されました。
746年には大地震を受け、最終的に街は放棄されました。

 

1880年代になると再びギリシア正教徒たちが住み始めることとなります。
そして1896年に、古代の教会跡地に現在地図が収容されている聖ジョージ教会を建設する際に発見されました。

 

マダバ

この地図が所在するマダバはヨルダン西部のマダバ県の県都で、ヨルダン国内5位の人口を有しています。
市民の35〜40%ほどはキリスト教徒で、ヨルダンに住むキリスト教徒の多くがマダバに住んでいます。

 

地図の内容

この地図は東を上にしてパレスチナ周辺を描いています。具体的には北はガリラヤ湖から南はナイル川デルタ、東西方向にはシリア砂漠〜地中海にかけての地域です。

実際の地図で見るとだいたい以下の範囲になります。(地図は東が上になるように90度回転)

マダバのモザイク地図の範囲

マダバのモザイク地図ではナイル川デルタ(上の地図の右下部分)が実際よりも東に寄っていますね。

 

聖書関連

聖書に関連する地名の記載はあまり多くありません。

地名以外だとイスラエルの12部族について、12すべての部族名が他の銘文よりも目立つ形で記載されています。

また、旧約聖書の引用が4つ見られ、そのうち3つは出エジプトに関するものです。

 

地理的情報

この地図の範囲は上述の通りですが、地理的情報は比較的正確に描かれています。
エジプト周辺にズレがある以外は、各街の位置関係はおおむね正しく示されています。

地図上にはギリシア語で銘文が記されていますが、多くの地名は黒か白の文字で書かれています。
エルサレムやベツレヘムなど、重要な土地に関しては赤字で記されています。

 

製作意図

マダバのモザイク地図の製作意図は様々考えられますが、ここでは宗教的意図、そして政治的・経済的意図の二つを紹介します。

宗教的意図

もっとも有力とされているのがマダバのモザイク地図が宗教的な意図のもと作られたというものです。それは地図が教会の床に見られること、そして聖書と関連する内容が見られることという二つの理由を根拠としています。

 

一点目についてですが、前述のように地図は現在聖ジョージ教会という教会の床にあります。地図は教会内の祭壇に向かって、実際の方位と地図上の方位が合うように配置されています。(地図は東が上)

聖ジョージ教会

教会内の「マダバのモザイク地図」。写真奥の祭壇に向けられていることがわかる。

File:Madaba Map (Church).jpg – Wikimedia Commonsより

クリエイティブ・コモンズ

 

二点目の根拠は地図内の図像や記述の中に旧約聖書や新約聖書に関するものがあるというものです。

 

こうした根拠をもとに、巡礼のための役割を果たしていたのではないかと考えられています。
巡礼者は地図を見ることで巡礼地への行き方を確認し、また床の地図の上を実際に歩くことで擬似的な巡礼を行っていたと考えられているのです。

 

政治的・経済的意図

以上のような宗教的な意図が考えられる一方で、政治的・経済的意図があるとする見方もあります。
これはキリスト教的に重要な場所を必ずしも強調していない点や、教会の周囲と地図の関連性が低いと考えられていることに由来します。

政治的意図の根拠としては、聖書に出てくるイスラエルの12部族や国境の記載があります。
前者は新約聖書において十二使徒や彼らの最後の審判での役割と結び付けられます。
こうしたことから教会のホールがかつて裁判に使われており、統治者の権威を示す意図があったのではないかとする説もあります。

 

経済的意図に関しては、地図上で大きく描かれた都市がいずれも港や貿易上重要な場所など経済的に栄えていた都市であることや、中央付近の死海に大きく描かれた貿易船などを理由としています。

 

まとめ

この記事では、マダバのモザイク地図について紹介しました。

 

POINT

  • 教会の床にあるモザイクで出来た地図である。
  • 6世紀のパレスチナ周辺を描いている。
  • 製作意図としては、宗教的なものの他に政治的・経済的意図も考えられる。

この記事を通して、少しでもマダバのモザイク地図に関する理解を深めていただけたなら幸いです。

 

 

参考文献


瀧口美香 (2013) 『初期キリスト教聖堂の舗床モザイク』 「明治大学入文科学研究所紀要」 第73冊 (2013年3月31日), pp. 187-244.

Leal, Beatrice (2018) ‘A Reconsideration of the Madaba Map.’ in Gesta, Volume 57, Number 2, Fall 2018. pp. 123-143.

O. A. W. Dilke With Additional Material Supplied by the Editors (1987) ‘Cartography in the Byzantine Empire’ in The History of Cartography, Volume 1 Cartography in Prehistoric, Ancient, and Medieval Europe and the Mediterraneaned. by J. B. Harley and David Woodward.

マダバ – Wikipedia

マダバ地図 – Wikipedia

The Nea Church – The Jewish Quarter of the Old City of Jerusalem

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